「被災地でのお手伝い」
濃い霧の中、早朝というか夜中の3時に気仙沼に向け出発しました。TV、ラジオからの情報や知人から入ってくる話をどのように受け止めていいのか判らず、一度現地に行って確かめてみたいという気持ちもあり今回参加させて頂きました。
当然のことながら現地の状況もよくわからず、何をしたらいいのかさえもまったくわかりませんでした。会を立ち上げたときは支援物資を集めようということでしたが、そのうち物資の運搬を、また現地でのお手伝いをと目的が変わっていくことに戸惑いを感じておりました。
しかし実際現地に行ってみて思ったのは、被災地側の情報伝達と受け入れ側への伝わり方にズレが生じているんだなと感じました。気仙沼高校の体育館には足の踏み場も無いぐらいの支援物資があり、山のように詰まれたランドセルの多さに驚きました。新品から中古まで200〜300個はあったでしょうか。もうこの時期ランドセルが欲しいと言う小学生は居ないと思います。来年の春まで使われること無く体育館の中に放置されたままになっていると思います。その他にも毛布やタオルなど必要以上のものが多く見受けられました。
情報の伝わり方が遅いのか、情報量が広がりすぎるのか解かりませんが、余った物資をオークションとかフリーマーケットで義援金に変えられたらそのほうがいいように感じてしまいました。
目的が変わっていくのも被災地の状況が変わっていくためであり「何をすればいいのか」ということを考えると、何度か現地に行って「生の声に耳を傾けること」にあると思いました。
昼食も含め4時間ほど体育館の物資移動のお手伝いをした後、港のほうに行ってみました。何から手を付けたらいいのか解からないぐらい悲惨な状況でした。そんな中、海沿いにもかかわらず比較的被害が小さそうな(2階、3階の窓ガラスは割れ、板を貼り付けている状態でしたが)酒屋さんが細々と商売をしておりました。被災から2ヶ月近くたちましたが小さな明かりが灯っていました。半年先、1年先に小さな明かりがいっぱい夜の街を照らしてくれたらと思い気仙沼港を後にしました。 角森 陽次
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